Sep 15, 2012

カンボジアの陰、地雷博物館とスラムへ

こんにちわ。

僕はいま、チベットを抜けてネパールはカトマンズにいます。
つい先日までいた一週間のチベットツアーは、あまりにも刺激的でした。
雄大な自然と敬虔な人々。。。
多くの人がチベットへと惹きつけられる理由が少しだけわかった気がします。


さて、お話は前後してカンボジアの光と陰について。

アンコールワット遺跡群を擁するカンボジアは世界に名高い観光地ですが、
その裏には、多くの人の涙と血の歴史があります。
「アキラ地雷博物館」におじゃましたときに、日本人ボランティアの方から
この国の歴史について少しだけ教えていただきました。

“カンボジア=地雷”というイメージをもつ方も多いのではないでしょうか。
日本人ボランティアの方もそんなひとり。
地雷に関わることをしたいと長年思い続け、57歳(うる覚えです)でカンボジアへの移住を決意されたそうです。
また、報道写真家・一ノ瀬泰造さんが残した書簡などをもとにつくられた
1999年公開の映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』の影響もあるのではないでしょうか。
撤去された地雷や、ミサイル、銃弾など

ポル・ポトひきいるクメール・ルージュの時代の前後
内戦、アメリカの空爆、知識層の虐殺。。。
米を輸出するほどの農業大国だったカンボジアの土地は荒れ果て、人々は食糧難に喘ぎました。
多くの精神的指導者を失ったカンボディアンは、明日への道筋を失い路頭に迷いました。
近隣諸国と比べて発展が遅れているのは、
この二つの大きな悲劇がもたらした弊害だと、ボランティアの方はおっしゃっていました。

「カンボジアに本当の平和が訪れてから、まだ十数年しかたっていない」
僕らの案内をしてくれたトゥクトゥクの運転手さんは嘆きます。
ポル・ポトの恐怖政治が終焉を迎えたのは、1998年のことでした。

暗黒の時代を象徴する地雷と不発弾。
今でも苦しめられる人々がいると思うと、胸が痛みます。
シェムリアップのキリングフィールド。ポル・ポト時代に犠牲となった方々の遺骨が安置されています。


カンボジアでは、いまだに学校に通えない子どもたちも多くいます。
シェムリアップで出会ったアキラ君は、20代前半。
スラムで日本語を教えながら、井戸を掘るための資金集めに奔走したり、
さまざまな村の子どもに会いにいったりと、自分ができることを淡々と行っていました。
自らの活動を高らかに語るわけではなく、行動のみで示している人でした。




スラムの日本語学校を見学させてもらったときのこと、
村人から「アキラー!」と声をかけられる彼をみて、
同じ日本人として、とても誇らしい気持ちにさせてもらいました。
同時に、大きな敬意を払うべきだと感じました。
そして、自分にもできることを模索すべきだと。。。




旅をしていると「自分が何も知らない」ことを知らされます。
というよりも「知っている、つもりになっていること」を教えられます。

小学校建設のボランティア、スラムの日本語教室見学、地雷博物館でのカンボジア史。
本当に考えさせられる日々でした。

多くの悲しみを背負った分、子どもたちの無垢な笑顔に心が揺れ動きます。



何度挑戦しても見ることができなかった、雨季のカンボジアの夕日。
でも、カンボジアを離れる最終日にキレイに輝いてくれました。

その美しい光のグラデーションは、
カンボジアのこれまでの悲しみを漱ぎ落とすように、
そして、これからの希望を約束するように、おだやかに沈んでゆくのでした。

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